曽我寺

      

文学、歌舞伎になったロマンが800年間、ここに眠る。

さあ目を閉じて、鎌倉の世に思いをはせて・・・。およそ800年前、征 夷大将軍にのぼった源頼朝は、この地で富士の巻狩を催しました。曽我兄弟の仇 討ちは、その折りのこと。兄弟は父の仇、工藤祐経を見事に討ち取りましたが、 兄十郎はその場で討たれ、弟五郎も捕らえられて無残な最期を遂げました。とき に十郎22歳、五郎20歳。この史実が文学や歌舞伎の世界でうたわれるのも、若い 二人が親の恩に報いるため勇気と兄弟愛をもって、幕府の権力に立ち向かった一 途な姿が、人の涙を誘うから。兄弟の菩提寺であるここ曽我寺には、樹齢数百年 のカヤの木、シイの木(市の天然記念物)が二人の冥福を祈るように、う っそうとおい茂っています。(毎年、命日に当る5月28日、29日に供養祭が 盛大に催されます。)

曽我八幡宮

幼い日の兄弟像に、ジーンとくる。


さて、父が祐経に討たれたとき、兄は5つ、弟は3つ。ある日「見よ、雁でさえ 、家族仲良く群をなして飛んでいく」と兄十郎が、あかね空を指させば、弟五郎 も「いつの日か、われらが仇、祐経を必ず討ち取りましょうぞ」とかたく誓いあ うのでした。そんな幼い日の兄弟の像が立つ曽我八幡宮は、頼朝公が、兄弟の親 を思う心とその勇気を武士の鑑とたたえて、建立されたと伝えられています。(1 月、4月、7月、11月の28日には、例祭が盛大に催されます)


富士市観光協会 「富士ひとたび」より